『完全版 テレクラキャノンボール2013』レビューその1 〜本質を撮るということ〜
ヤルかヤラナイかの人生なら、俺はヤル人生を選ぶ。
2016年夏、出会うのが遅すぎたと心から思った作品と出会いました。
『完全版テレクラキャノンボール2013』これは確実に20代が終わりかけ、30代にこれから突入する自分にとってのバイブルとなるんだと確信した、そんな作品のお話です。
テレクラキャノンボール2013とは?
アメリカ大陸横断レースである『キャノンボール』をモチーフにしたアダルビデオ作品
RUNステージとSEXステージに分かれていて、終了時のステージ合計獲得ポイントによって順位が決められる。
RUNステージは、決められた移動区間をオートバイや自動車などで移動し、到着順でポイントが与えられる。SEXステージは、ナンパ、テレクラ、出会い系サイトなどを用いて、各都市で素人女性を制限時間内に撮影し、その行為内容などによってポイントが与えられる [1]。
AV界にハメ撮りを定着させた第一人者である、カンパニー松尾率いる6人のAV監督が男と男のプライドを賭け、ガチンコ勝負するドキュメンタリー。
それが『テレクラキャノンボール2013』です。
なぜこの作品はこんなにも自分を惹きつけたのか?
せっかくだから完全版(600分)を見ようと思い、気軽な気持ちで見始めたが最後、あっという間に見終わり、終わった後に残ったのは「男とは何か?」「ヤルかヤラナイかの本当の意味」「真の意味でのプロとは?」などなど自分を振り返り、これからどう生きるか?の宿題に向き合い始めるという、想像以上のインパクトでした。
一体何がこんなに自分の心に刺さったのか?を鑑賞後少し時間が経った今、振り返ったら以下のような要素があるんじゃないかな〜と思ったことを挙げていきます。
- 本質を見極めた仕事をすること
- 勝つために手段を選ばないこと
- プロとしての男、男としての自分
大きくまとめると、この3つの要素が自分にとってすごく惹きつけるものになっているんだと感じたので、一つ一つ説明をしていきたいと思います。(全3回を予定)
本質を見極めた仕事をすること
小学生の頃にエロに目覚めてから自慢じゃないけれど、数え切れないAVやエロ動画を見てきました。でもこの作品にはそんな数多のAVになかった「何か」がある気がしたんです。
その「何か」が一体なんなのか?を自分の中で整理できるまで本当に時間がかかって、途中になんでもないエロ動画を見てみて、ものすごい気付きに至りました。
「彼らは3人のレンガ職人の3人目と同じなんだ。」
そう気付いたんです。
ちなみにイソップ寓話「3人のレンガ職人」とは…
世界中をまわっている旅人が、ある町外れの一本道を歩いていると、一人の男が道の脇で難しい顔をしてレンガを積んでいた。旅人はその男のそばに立ち止まって、
「ここでいったい何をしているのですか?」
「何って、見ればわかるだろう。レンガ積みに決まっているだろ。朝から晩まで、俺はここでレンガを積まなきゃいけないのさ。あんた達にはわからないだろうけど、暑い日も寒い日も、風の強い日も、日がな一日レンガ積みさ。腰は痛くなるし、手はこのとおり」
男は自らのひび割れた汚れた両手を差し出して見せた。
「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、まったくついてないね。もっと気楽にやっている奴らがいっぱいいるというのに・・・」
旅人は、その男に慰めの言葉を残して、歩き続けた。
もう少し歩くと、一生懸命レンガを積んでいる別の男に出会った。先ほどの男のように、辛そうには見えなかった。旅人は尋ねた。
「ここでいったい何をしているのですか?」
「俺はね、ここで大きな壁を作っているんだよ。これが俺の仕事でね。」
「大変ですね」
旅人はいたわりの言葉をかけた。
「なんてことはないよ。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。ここでは、家族を養っていく仕事を見つけるのが大変なんだ。俺なんて、ここでこうやって仕事があるから家族全員が食べいくことに困らない。大変だなんていっていたら、バチがあたるよ」
旅人は、男に励ましの言葉を残して、歩き続けた。
また、もう少し歩くと、別の男が活き活きと楽しそうにレンガを積んでいるのに出くわした。
「ここでいったい何をしているのですか?」
旅人は興味深く尋ねた。
「ああ、俺達のことかい?俺たちは、歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」
「大変ですね」
旅人はいたわりの言葉をかけた。
「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだぜ!素晴らしいだろう!」
旅人は、その男にお礼の言葉を残して、また元気いっぱいに歩き続けた。
と、全く同じ作業をしている人達ですが、見ているビジョンや想いが全く違う。
これをAV監督という仕事に置き換えると…
こんな感じになるんじゃないかな?と気付きました。
彼ら6人のAV監督はもしかしたらAVを撮ることを通して、本当に伝えたい何か?があるのではないか?それを伝える為の手段がたまたまAVという手段だったんじゃないか?
そんなことを考え始めました。
彼らは一体何が撮りたかったのか?
それはきっと「人間の本質」なんじゃないかな?と思っています。
男と女が最も深い形で交わる手段であるセックスだからこそ、セックスを通してその人の生き方や本当に考えていること、誰にも話せない悩みや想いを引き出すことができる。だからこそそれを撮影する表現者として「人間の本質」を追い求めているんじゃないでしょうか?
男女問わずきっと経験したことがある、「そんなに仲良くなかったけど成り行きでセックスして、その後のピロートークで色々話していたら相手のことがセックスする前より深く知ることができて、一気に仲良くなれた。」みたいな現象。
それはきっと男と女が情報交換をするにあたっての最大手法であるセックスという行為が行われた後でしか生まれない、心と心のやりとりでそんな刹那的な瞬間を撮る為に、彼らは真摯に向き合い、引き出す為に日々AV監督として仕事をしているんじゃないか?と考えています。
でなければオバケみたいな金髪のババアや、自分より縦も横もデカイ女に向き合うことなんてきっとできません。(もしかしたらできるかも。。)
彼らは清濁併せ呑むことを良しとし、見た目の向こうにある心の交わりを撮り、心が交わるセックスだから女が喜び、それを見ている人間を惹きつけるんじゃないか?と感じました。
例えどんな仕事をしていても、本質を追い求め真摯に向き合いながら仕事をする人間はカッコよく、魅力的であるからこそ6人のAV監督はマジでカッコよくて、男も女も引き込む力をもっていることに気付くことができたから、自分はこの作品に出会えてよかったし、自分もそんなカッコイイ男になりたいと思ったのです。
長くなってきたので今日はこの辺りで。
次回は2つ目の要素「勝つ為に手段を選ばないこと。」についてのお話をしたいと思います。
ではまた。